Kensuke先生の
詳しいプロフィール
初めてのブログ投稿
日本語はあまり得意ではなく・・・
文章力もあまり上手な方ではありません。
なるほど~
それくらいの感覚で
読んでいただければと思います。
では
Let's Go
まずはKensuke先生の自己紹介
講師紹介ページより詳しく書いてます。
この投稿は日々更新されていきます。
○経歴○
滋賀県出身
5歳 父親の仕事で渡米
米国ロードアイランド州でバレエを始める
10歳 畠中三枝バレエ教室所属, 畠中三枝に師事
膳所小学校
↓
粟津中学校
↓
同志社高等学校
卒業後 渡米 (2006年)
幼少期に
渡米したタイミングがよかったので
この6年間で英語をしゃべれるようになりました。
平日は現地のアメリカの学校に通い
土曜日はアメリカ各地に駐在している
日本の子供たちが集まって勉強する
日本人学校に通い
いつ帰国しても
日本の教育システムの授業内容の
スピードで学習していました。
この時期はとにかく勉強・・・勉強・・・
そんなイメージしかありませんでした。
幼少期の日本
滋賀県で生まれ
Kensuke先生は大津市園山で育ちました。
たくさんの団地?社宅?が並ぶなかで
セミ取りを近所の友達と一緒に行っていた記憶があります。
1987年生まれの兎年です。
5歳になってすぐの9月に
アメリカ東海岸
ロードアイランド州 (Rhode Island)に引っ越しました。
少しだけ
滋賀短期大学付属幼稚園に入園していた記憶があるのですが
4月入園→7月転園
その時の友達のことはほとんど覚えていません。
5歳の時に海外に行って
現地の学校で英語を覚える。
今考えるととてもラッキーだったんだと感じます。
アメリカでバレエと出会う
アメリカでの最初の印象は
なんでも規模がでかい・・・
家の大きさ
道路の道の幅
車の大きさ
まず二階建ての家なんて、、、
5歳の時の
Kensuke先生は知りませんでした 笑
庭は芝生でとても広いし
隣の家までが遠い。。。
とにかくそんな記憶があります。
ガレージ?
そんなものは日本にはなかったし
なんで家が二つもあるのだろうか?
車専用の駐車スペースがあるなんて
とりあえずよくわからなかったのですが
なんかアメリカはでかいんだな
そんな風に考えていました。
バレエとの出会いは渡米してから
結構すぐだった記憶があります。
バレエ人生のスタート
バレエを始めたきっかけはなんだったのか?
5人兄弟(その当時はまだ3人兄弟)の
2番目の長男です
姉が通い出したバレエスタジオに行くようになり
男性の先生が
「アメちゃんをあげるからバレエをやらないかい?」
そう言われてアメちゃんを選んでいた記憶があります。
そんな理由で始めたバレエ(5歳)
その当時からバレエダンサーを目指していたわけではなく
習い事の一つ程度に思って続けていました。
指導していた先生方
アンドレイ・ウツシノフ
エレーナ・マーティンソン
二人ともロシアから亡命してきた先生方です。
バレエ界はとても狭い世界で
この時の先生が
16年後の(Kensuke先生 21歳)
アメリカ ワシントンバレエ団時代に出会う
先生とつながるとは思っていませんでした。
この先生は
アンドレイがアメリカツアー中に亡命を決断したときに
ホテルでルームシェアをしていたダンサーだったのです。
アンドレイの最後の言葉
「一緒にコーヒーでも飲みに行かないかい?」
その言葉を残して彼は亡命したと
話してくれました。
詳しくはワシントンバレエ団時代の章でお話します。
まだまだ続く。
今はここまで。